始まることと、回り続けること sec#96
もう一つ、別の並べ方がある。すべてを「一人が出す → 誰かが乗る → 回り始める」という三段階に当てはめてみる。全部が三段階まで行くわけではない。
三段階目にいるのは、宮川さんの餅つき、道祖神、岡村さんのアパート(*11)、養鶏場の餌だ(*12)。 米を出す、人が来て搗く、毎年回る。帳簿が回り、何十年も止まらない。部屋を貸し、人が入り、野菜が回る。餌をもらい、鶏が育ち、卵がまた誰かのところへ行く。共通しているのは、出し手が抜けても続く形になっていることだ。道祖神の会計は輪番だから、誰か一人がやめても次の家に渡る。
岡村さんのアパートは、それがいちばん見えやすい。買い取った建物を廃材中心に改修して、一階が自分のアトリエ、隣がギャラリー、その隣もいずれ壁をぶち抜いて一室にする。空いている部屋には養鶏場の夫婦や畑をやる宮川さんが入る。畑を手伝えば野菜が返ってくる。改修も互いにDIY で手伝う。終わりのない小さな改築が常にどこかで進んでいて、いずれは電気も水道も自分たちで作るオフグリッドの複合施設にしたい、と話していた。僕がこの話を佐々木さんにしたとき、佐々木さんは、個人のスキルや得意分野ややりたいことを持ち寄る点でDAINOWA と通じる、と応じた。別々の場所で、同じ形が独立に立ち上がっている。
御輿はもっと露骨だ。担ぎ手が高齢化して足りないので(*13)、大磯の地区どうしだけでなく、平塚や茅ヶ崎からも互いに担ぎに行くようになった。「こっちも手伝いに行かないと手伝いに来てくれない」と言われている。返す義務が言葉になっている。僕自身も、餅つきや祭りの場で御輿の担ぎ手として十数回も勧誘されて、断るのが大変だった。それだけ若手がいないということだ。
ただし、三段階目にいるからといって安泰ではない。 道祖神の櫓は年々小さくなっている。芯に入れるのは正月飾りだが、いまは 松を組む家がほとんどない。昔は料亭が立てた立派な門松を組み合わせて大きな櫓が作れた。一般の家はリースのような小さな飾りしかしない。だから芯が足りない。回り続けてはいるけれど、痩せてきている。世話人はこうも言っていた。この祭りが続いてきたのは、ここが漁師町で、漁師たちが続けてきたからだ。都市化の波が来て漁師がいなくなり、みんな勤めに出るようになれば、担い手はいなくなる。まだ漁師がいるうちは一生懸命やろう、と。回っているものは、止まるのではなく、少しずつ細くなる。
二段階目と三段階目のあいだにいるのが、杉山さんの空き家だ。 空き家を直す。人が使い始める。でも全部が「回っている」とは言い難い。シェアキッチンは使う人が入れ替わり、スタジオには予約が入る。でもそれは循環というより、場所の利用だ。杉山さんが直し続ける限り場所は増えるが、杉山さんが止まれば新しい場所は生まれない。回っているのは個々の場所の使用であって、空き家を直すという行為そのものは回っていない。二十一の拠点を一人で管理している、という事実がそのまま弱点でもある。
ただし杉山さんの側にも、回そうとしている部分はある。各現場から出た解体材と什器は曽我のストックヤード(*14) に集まって、次の現場の什器になる。真鶴の移住者向けイベントで講師をしたときに繋がった大学の学生団体と、一緒に改修をやろう(*15) という話も進んでいる。直す行為そのものを人に渡そうとしている、とは言える。
二段階目にいるのが、やっほーとほとり(*16) とホップ畑だ。 助成金で器を作った。子どもたちが来ている。ホップは育っている。でもまだ「回っている」とは言えない。お金が外から来ていて、それが止まったときに続くかどうかが、まだ見えない。やっほーはもう助成が切れていて、次の助成金かクラウドファンディングを探している。国の助成金は実績がないと難しい、と言っていた。
柳沼さんはそれを分かっていて、醸造所が一円も稼がなくても事業全体では赤字にならない規模に組んである。むしろ今のままホップ農家だけを続けるほうがリスクは低い、とまで言う。畑の設備も、いきなり単管のトレリスを建てれば周りの農家が驚くから、冬にいちばん影が伸びるときでも隣の畑に影が届かない位置、倒れても隣に届かない位置までセットバックして設計して、その意図を全部説明してから建てた。二段階目にいる人ほど、三段階目のことをよく考えている。
一段階目と二段階目のあいだにいるのが、細川さんの舞台だ。 「手伝ってくれ」と声をかけた。人が来た。場所ができた。でもそれが繰り返されるかどうかは、まだ分からない。一回きりの出来事かもしれない。
そして、この三段階に乗らないものもある。南十字がそうだ(*17)。本を買った人が、次に来たときに前に買った本を返していく。これは「返礼」ではない。何かをもらってお返しをしたのではなく、買った人と店の関係そのものが変わっている。 店の人は、資本主義の社会でこんな光景を見るとは思っていなかった、と言った。三人はそれぞれ別の生業を持っていて⸺ウェブのデザイン、ラジオのDJ、一人でやっている出版社⸺それぞれが考えていることを小冊子にして文学フリマに出し、その冊子が真鶴の道草書店へ流れていく。売買の線と、贈与の線と、仲間の線が、同じ棚の上で重なっている。
コミュニティ食堂も乗らない。鍵は開けっ放しで、募金箱が置いてあって、火木土の夕方に住職が作ったものを地元の人が食べる。入口までは見える。でもそこから何がどう回っているのかが、外からは見えない。回っているのか、通過しているだけなのか、判断できない。 判断できないまま置いておくしかない。
そして半田さんは、どの段階にもいない。 出していないし、乗ってもいない。自分は物々交換に強くない、と言っている。触れ合いや会話や手伝いがあることは認めながら、そこは得意ではないと。外の街のマーケットに出ても大磯の人はあまり来ない、大磯は内向きだと毎回感じる、とも言った。図の外にいる人の言葉が、いちばん図の輪郭を教えてくれる。
ついでに言えば、僕自身もこの図のどこかにいる。 話を聞かせてもらうかわりに働く、というやり方で、餅つきの叩き手をやり、養鶏場を手伝い、空き家の床を剥がしている。出しているのは労働で、受け取っているのは話と住居だ。観察者のつもりで来て、いつのまにか同じ構造の中で交換している。
*11|The Studio Oiso 陶芸家・岡村朝子さんが買い取り、廃材を中心に改修したアパート。一階がアトリエとギャラリー、空き部屋には養鶏場の夫婦や畑をやる人が入る。終わりのない小さな改築が常に進んでいて、いずれ電気も水道も自前にしたいという。
*12|ParkLife(養鶏場) 飼料の多くを交換と無償の譲り受けで賄っている。農家の芋づる、ビール製造所のホップのカスと粕、小豆のカス、平塚のパン工場のパン余りを発酵飼料にする。卵は一パック千円。平飼いとオーガニック飼料の価値を見てほしいという。
*13|御輿の相互融通 大磯の地区どうしだけでなく、平塚や茅ヶ崎とも互いに担ぎに行くようになった。「こっちも手伝いに行かないと手伝いに来てくれない」。記録者自身も、餅つきや祭りの場で十数回、担ぎ手として勧誘された。
*14|ソガブレンド 旧・小田原市曽我支所を再利用した拠点。元の講堂が、解体材と什器を展示しながら貯めておくストックヤードになっている。Blend の現場だけでなく、移住者の店づくりを手伝った現場から出たものもここに入る。
*15|開成設計室 芝浦工業大学の空き家改修プロジェクト。杉山さんが真鶴の移住者向けイベントで講師をした際、参加者を介してつながった。平日に大学で設計し、施工は夏と春の長期休みに一気にやる。
*16|ほとり やっほーから派生した日中の子どもの居場所。学校を借りて週三回。子どもからも誰からもお金を取らず、寄付と週一・月一の喫茶の飲食代で賄う。使用料を払うと「また貸し」になるため、寄付という形にして場所を使わせてもらっている。
*17|南十字 三年前にできた古本屋。三人とも出版や書店の経験がなく、ウェブのデザイン、ラジオのDJ、一人出版社と、それぞれ別の生業を持つ。三人の考えを小冊子にして文学フリマに出し、その冊子は真鶴の道草書店へ納品されている。
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版履歴
v1 · machine · 2026-07-20 06:24
見出しなし
⚠[要検証] 次に「一人が出す→誰かが乗る→回り始める」というフローに置くと、全部が右端まで行くわけではないことも見えてきた。舞台を作る呼びかけは、手伝いが集まったところまでは分かる。補助金で場所を確保した事例も、器はできている。けれど、その後に別の人が運営側へ回るかはまだ分からない。一方、宮川ファームでは場所、畑作業、売上の一部、提供者自身の参加までが往復し、道祖神では会計役が町内を順番に回る。読み取り150枚でも、不明79、外れる28、種のみ22、輪が開きつつある13、輪が開いている8だった。止まった点や見えない先を、そのまま図に残すのが大事だと思う。[moment#887] [trade#287] [moment#2642] [moment#2590]