「やりたい」を、実際にできるところまで。 sec#84
大磯と国府津を歩いていると、畑や会館、お寺、空き家で、誰かが持っているものを少しずつ出している場面に出会う。米を出す人、やり方を教える人、技術を持ち寄る人、お金を次へ渡す人。きっちりした契約や報酬がなくても、場所は動き、人が集まり、次の何かが始まっていく。これは「助け合い」という立派な話ではなく、この町でいつの間にか続いている、場所と技術とお金のまわり方についての記録です。
台町に住む人が、フリーマーケットをやりたいと言い出したことがあった。ただ、台町会館の借り方も、場所の取り方も分からない。しょっちゅう会館に出入りしている佐々木さんには、そのノウハウがある。それで手伝って、十月に開いた。出店は基本的に台町の住民だ。来年もやるかは決まっていない。
会館は地元利用なら無料で借りられる。町内会から予算は出るが、人件費には使わない。手伝った人に出るのは冷たい飲み物くらいだ。
佐々木さんは大農のリーダーということになっている。生まれも育ちも台町で、出張のドッグトレーナーをしている。地元歴が長く、いつの間にかそう呼ばれるようになった。ただ本人は「リーダーだから発言権・決定権があるわけではない」と言う。大農では複数の企画が自然発生的に立ち上がって、それぞれ勝手に進む。佐々木さんがやっているのは、まとめることではなく拾うことだ。誰かが「やりたい」と言う。それを聞いて、いるなら手伝ってみよう、という形で実現に回る。最後にやるのは言い出した本人で、佐々木さんではない。
六月の第三日曜、僕はその大農の花畑にいた。
もともと耕作放棄地だ。広い土地に草が生えては刈られを繰り返していた。猪が降りてきて梅や栗やみかんをやられるので、実のなるものではなく花にした。朝の九時から十二時まで作業をする。子供は遊び、大人が畑をやる。花の種は大島さんが用意したものを植える。大島さんは台町の在住ではないが、お花畑のアドバイザーとして参加している。誰かがタバコに火をつけて、僕も一緒に休憩した。
十二時過ぎに解散して、大磯市で再集合した。大磯港でひらく市で、畑の作業日は毎月それに合わせてある。畑作業のあとの楽しみだという。大島さん一家と枝豆とアジフライとビールを買った。出店の多くは茅ケ崎や秦野など大磯の外から来た店で、どこも盛況だった。列の一番奥ではやっほーがビールと子ども食堂券を売っていて、人が来ないので客引きをしていた。
大農は町内会よりラフなコミュニティとして、コロナ禍のなかで作られた。名簿も会計も役員もない。LINE のグループに三十人ほどがいて、実際に何かを企画して動くのは十人ほどだ。町内会から切り離された別組織ではない。町内会の中で知り合った人同士のつながりから発生して、そこからはみ出したものだという。
写真祭を企画したのは小柴さんの旦那さんだ。広告の会社に勤めながら写真を撮る人で、もともと大磯町が主催していた文化事業を盛り上げたいと言って立ち上げ、町から助成金も取ってきた。「助成金をとるのとか仕事柄得意だからって率先してくれる人なんだよね」とペータさんは言う。そして普段から世話になっているから自分もできることで返したいと思って、お花畑を手伝っているのだと続けた。
十二月には餅つきがある。僕は小柴さん経由で「叩く人がいないから来て」と呼ばれ、よそ者として潜り込んだ。名人が中心で杵を振り、返し手の女性たちが鏡餅を作っていく。僕も初挑戦して、下手くそだと交代させられた。餅とそばは無料で振る舞われ、費用は大農が持つ。帰りに餅を二個持たされた。会長からは「若手頑張って」と声がかかり、七月と九月の祭りにも手伝いに来てと誘われた。
その日、こういう話が出た。町内会にもともとある行事と、新しい自主企画を認めてくれる仕組みが混ざっている。守るだけだと「仕事」になってしまうから、仕事を遊びにする。写真家の仲間が休みの日や芸術祭に写真や広報の職能と時間を地域へ出すのは、お金と仕事の交換ではない。純粋な表現と、仲間と遊ぶ時間を取り戻すためだ。会社で仕事として使っている技術が、ここでは別の目的に使われている。その切り替えに、摩擦がない。
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版履歴
v1 · machine · 2026-07-20 06:46
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毎年十二月、宮川さんが自分で育てた米で餅をつく。無農薬、無肥料のもち米が蒸され、人が臼のまわりに寄る。宮川さんは「みんなで持ちつけてくれ」と言う。杵を握った人がつき、疲れると次の人に渡す。見ていた人が前へ出て、また杵が上がる。参加費を集める人はいない。米と餅つきの場は、すでにそこにある。[trade#162]
僕も叩き手に入った。人が足りないから来て、と声がかかっていた。杵を振り下ろし、交代して息を整える。つき終わった餅が配られ、そばやとろろも出た。僕は財布を出さなかった。帰ろうとすると、餅を二個持たされた。手には杵を握った感触が残り、持ち帰る二個の餅が増えていた。[trade#256]