← 号「seisyoness #01」 · 特集「回るもの、止まるもの」

持っている人が、持っているものを持ってくる。それだけのことらしい。 sec#89

導入 · v2 · 本人の直接編集
狙い: 浜之町の道祖神祭りから始める。進んで名乗り出る人がいるわけではない会計を町内で順番に務め、売上を受け取った会計が経費を支払う。誰か一人の熱意ではなく、役目が次の人へ移ることで祭りが続いている光景を冒頭に置く。

祭りの帳簿は隣の家へ渡り、冷たいお茶一本で人が集まり、余った野菜やパンは子どもたちの食卓へ届く。一方で、助成金には三年という期限があり、畑や場所が育つ時間とは別の時計で終わりが近づいてくる。大磯と国府津で見たのは、単純な「助け合い」の風景ではなかった。お金、技術、食べ物、場所、役割。何かが誰かから誰かへ渡ることで、活動は少しずつ続いている。

しかし、外から来るお金が止まることもあれば、関係が内向きになり、その輪に入れない人もいる。この企画では、活動を団体ごとに紹介するのではなく、そこで何が回り、何が回転を支え、どこで止まりうるのかを並べてみる。続く仕組みは、善意だけではできていない。止まりそうな場所を見ることもまた、その活動の輪郭を知る方法なのだと思う。

道祖神祭りの会計は、輪番で回ってくる。誰かが進んでやるわけではなく、町内で順番に務める役回りだ。祭りで集まったお金は各道祖神の会計さんに渡り、会計がそこから経費を払う。祠の修繕費、電気代。派手な使い道はない。人が替わっても、渡す先と払う中身は変わらない。

祭りの世話人は、竹と団子と針金を自分の金で仕入れる。嫁が針金を切り、新しくできた饅頭屋から団子を仕入れて、竹の先に針金を通して団子を刺す枝を作る。それを地域の人に五十本ほど売る。売った利益は自分の儲けにしない。南下町にある四つの道祖神で分けて、それぞれの会計に渡す。南下町ぶんで一万円ほどになる。参拝者が減ってお賽銭が細ってきたぶんを、そうやって補っている。

浜に組む櫓は「サイト」と呼ばれ、道祖神ごとに作る。人手が要るが、この地区は人数が少ない。昔はここが漁業の中心地で、東光院の駐車場のあたりに漁業協同組合や長屋があり、船の乗組員や船大工が大勢いた。水産業が衰えて中心部から人が減り、いまは山側のほうが人が多い。それでも櫓は毎年立つ。竹は大磯の竹林から採る。葉が下を向く毛草は縁起が良くないので使わず、葉が上を向くマダケを選ぶ。竹は軽く、組んでも撓んで折れない。火をつける前に、みんなで太鼓を叩く。昼間には地域の子どもが叩いている。

サイトは年々小さくなっている。芯に入れるのは正月飾りだが、いまは門松を組む家がほとんどない。昔は料亭が立てた立派な門松を組み合わせて大きな櫓を作れた。一般の家はリースのような小さな飾りしかしない。だから芯が足りない。この祭りが続いてきたのは、ここが漁師町で、漁師たちが続けてきたからだ。都市化の波が来て漁師がいなくなり、みんな勤めに出るようになれば、担い手はいなくなる。まだ漁師がいるうちは一生懸命やろう、という姿勢でやっている。

DAINOWA のほうは、もう少し自由な形で人が集まる。十二月の餅つきには、「叩く人がいないから来て」と呼ばれて僕も混ざった。名人が中心で杵を振り、返し手の女性たちが鏡餅を作っていく。餅とそばは無料で振る舞われ、費用は大農が持つ。帰りに餅を二個持たされた。会長からは「若手頑張って」と声がかかり、七月と九月の祭りにも手伝いに来てと誘われた。手伝った人に出るのは冷たい飲み物くらいで、名簿も会計もなく、LINE でつながっているだけだ。

耕作放棄地を使う活動も同じところがある。広い土地に草が生えては刈られるのを繰り返していた場所を借りた。猪が降りてきて梅や栗やみかんをやられるので、実のなるものではなく花にした。毎月第三日曜の朝九時から十二時まで作業をする。子どもは遊び、大人が畑をやる。花の種は大島さんが用意する。大島さんは台町の住人ではないが、お花畑のアドバイザーとして参加している。

三つの活動では、回っているものが少しずつ違う。道祖神祭りでは役割と帳簿が渡り、大農では技術と段取りが持ち寄られ、耕作放棄地では土地と労働が集まる。活動を続けているのは、強いリーダーや大きな予算ではない。誰が何を引き受け、次の人に何を渡すかという、小さな仕組みの積み重ねだ。そしてその仕組みは、担い手が抜ければ止まる。門松を組む家が減れば、櫓は小さくなる。

会話 #194

記事: section#75

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版履歴

v1 · machine · 2026-07-20 06:48

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道祖神祭りの会計は、誰かが進んで名乗り出て引き受ける役ではない。町内で順番が回ってくる。売上の金を受け取り、そこから祭りに必要な経費を払う。自分の番が終われば、帳簿は隣の家へ渡っていく。やりたい人が現れるまで待つのではなく、やりたくない人が役から降りるでもない。誰も名乗り出ないのに、誰も降りない。その静かな連なりのなかに帳簿があり、祭りの金があり、翌日の総出の作業がある。外からまとまったお金が来るわけではないから、助成の終了を境に切れることもない。町内を一周する役目が、そのまま祭りの時間を先へ送っているように僕には見えた。[trade#157] [moment#2590]

ここでは、始めた人の熱意をたどろうとしても、ひとりの顔には行き着かない。会計は次の会計へ移り、売上は経費になり、翌年にはまた別の家が帳簿を持つ。何十年も自前で回っているものの手触りは、声の大きな呼びかけより、断られずに渡っていく帳簿の重さに近かった。[trade#157] [moment#2590]