回るもの、止まるもの 下書き #17
| レンズ(読み) | 小さなトップダウンによるボトムアップらしさ |
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| 主題 | 町内の輪番、無償の手伝い、期限のある助成金、寄付や持ち寄り、個人が確保した場所を順にたどり、同じように見える活動が別々の力で動いている手触りを、僕の見聞として分析せずに並べる。 |
| 状態 | 下書き · v6 · by steward-auto-d55 · 2026-07-20 06:48 下書き 5/5 章 |
| 不足取材リスト |
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持っている人が、持っているものを持ってくる。それだけのことらしい。
祭りの帳簿は隣の家へ渡り、冷たいお茶一本で人が集まり、余った野菜やパンは子どもたちの食卓へ届く。一方で、助成金には三年という期限があり、畑や場所が育つ時間とは別の時計で終わりが近づいてくる。大磯と国府津で見たのは、単純な「助け合い」の風景ではなかった。お金、技術、食べ物、場所、役割。何かが誰かから誰かへ渡ることで、活動は少しずつ続いている。
しかし、外から来るお金が止まることもあれば、関係が内向きになり、その輪に入れない人もいる。この企画では、活動を団体ごとに紹介するのではなく、そこで何が回り、何が回転を支え、どこで止まりうるのかを並べてみる。続く仕組みは、善意だけではできていない。止まりそうな場所を見ることもまた、その活動の輪郭を知る方法なのだと思う。
道祖神祭りの会計は、輪番で回ってくる。誰かが進んでやるわけではなく、町内で順番に務める役回りだ。祭りで集まったお金は各道祖神の会計さんに渡り、会計がそこから経費を払う。祠の修繕費、電気代。派手な使い道はない。人が替わっても、渡す先と払う中身は変わらない。
祭りの世話人は、竹と団子と針金を自分の金で仕入れる。嫁が針金を切り、新しくできた饅頭屋から団子を仕入れて、竹の先に針金を通して団子を刺す枝を作る。それを地域の人に五十本ほど売る。売った利益は自分の儲けにしない。南下町にある四つの道祖神で分けて、それぞれの会計に渡す。南下町ぶんで一万円ほどになる。参拝者が減ってお賽銭が細ってきたぶんを、そうやって補っている。
浜に組む櫓は「サイト」と呼ばれ、道祖神ごとに作る。人手が要るが、この地区は人数が少ない。昔はここが漁業の中心地で、東光院の駐車場のあたりに漁業協同組合や長屋があり、船の乗組員や船大工が大勢いた。水産業が衰えて中心部から人が減り、いまは山側のほうが人が多い。それでも櫓は毎年立つ。竹は大磯の竹林から採る。葉が下を向く毛草は縁起が良くないので使わず、葉が上を向くマダケを選ぶ。竹は軽く、組んでも撓んで折れない。火をつける前に、みんなで太鼓を叩く。昼間には地域の子どもが叩いている。
サイトは年々小さくなっている。芯に入れるのは正月飾りだが、いまは門松を組む家がほとんどない。昔は料亭が立てた立派な門松を組み合わせて大きな櫓を作れた。一般の家はリースのような小さな飾りしかしない。だから芯が足りない。この祭りが続いてきたのは、ここが漁師町で、漁師たちが続けてきたからだ。都市化の波が来て漁師がいなくなり、みんな勤めに出るようになれば、担い手はいなくなる。まだ漁師がいるうちは一生懸命やろう、という姿勢でやっている。
DAINOWA のほうは、もう少し自由な形で人が集まる。十二月の餅つきには、「叩く人がいないから来て」と呼ばれて僕も混ざった。名人が中心で杵を振り、返し手の女性たちが鏡餅を作っていく。餅とそばは無料で振る舞われ、費用は大農が持つ。帰りに餅を二個持たされた。会長からは「若手頑張って」と声がかかり、七月と九月の祭りにも手伝いに来てと誘われた。手伝った人に出るのは冷たい飲み物くらいで、名簿も会計もなく、LINE でつながっているだけだ。
耕作放棄地を使う活動も同じところがある。広い土地に草が生えては刈られるのを繰り返していた場所を借りた。猪が降りてきて梅や栗やみかんをやられるので、実のなるものではなく花にした。毎月第三日曜の朝九時から十二時まで作業をする。子どもは遊び、大人が畑をやる。花の種は大島さんが用意する。大島さんは台町の住人ではないが、お花畑のアドバイザーとして参加している。
三つの活動では、回っているものが少しずつ違う。道祖神祭りでは役割と帳簿が渡り、大農では技術と段取りが持ち寄られ、耕作放棄地では土地と労働が集まる。活動を続けているのは、強いリーダーや大きな予算ではない。誰が何を引き受け、次の人に何を渡すかという、小さな仕組みの積み重ねだ。そしてその仕組みは、担い手が抜ければ止まる。門松を組む家が減れば、櫓は小さくなる。
タダで回る部分と、お金がいる部分。その線はどこで引かれてる?
やっほーには、地域からいろいろな食べ物が届く。近所の人が魚や野菜を持ってくる。横浜や平塚のパン工場からは、支援食材として売り物にならないパンが送られてくる。大磯にある大きな冷凍庫は、それでいっぱいになる。子どもたちが食べるものの多くは、買ったものではなく、人づてに集まったものだ。「ありがとう、助かりました」で回っている。
派生した「ほとり」にも、同じように物が届く。サンティというパン屋が、おいしいパンを寄付してくれる。ジェラートもたくさんくれる。ただしサンティは、名前を大きく出してほしいわけではないという。だから感謝は伝えるけれど、SNS には書かない。地域のおじいちゃんが、突然野菜をドーンと持ってくることもある。渡す側は「自分たちも店で精一杯で、本当は地域活動をできたらと思っている」と言いながら置いていく。見返りを求めているようには見えない、と小柴さんは言った。
場所のほうにはお金がかかる。やっほーが使っている建物は、隣にある社会福祉協議会が建てたものだ。二年前に空いていたところを破格の値段で借りて、いまは月に数千円払っている。二〇二二年の十月に一般社団法人を立ち上げ、月水金を開けて、お昼の部と、十四時半からの放課後の部をやっている。夜やっほーもそこに加わった。子どもは無料で食べられるメニューがあって、その日はピザが出た。それでも、家賃だけで活動が成り立つわけではない。人件費がいる。設備を作るお金がいる。
立ち上げのとき、それを支えたのがLUSH というイギリスの会社の助成金だった。何百万円かを受け取り、運営費と人件費に充てた。そのお金で、中にある小上がりと秘密基地、二階のフローリングを大工さんに作ってもらった。いま部屋にあるものの多くは、この助成金から生まれている。
ただし、その助成はもう終わっている。去年から今年の三月まで、という期間があらかじめ決まっていた。だから次は、別の助成金かクラウドファンディングで集めなければならない。国の助成金は実績がないと難しい、と言っていた。野菜を持ってくる人との関係に終了日はないが、助成金には終了日がある。
外から来るのはお金だけではない。夜やっほーの日、アウトドア靴メーカーのKEEN の社員が三人、ボランティアに来ていた。会社の社会貢献のコースで、年間のノルマがあり、こなすと手当が出るのだという。彼らは「特にお金を出しているわけではなく、人で参加させてください」という形で入り、ステッカーを配って自社を知ってもらうきっかけも作っていた。社員から見れば手当の出る労働で、会社から見れば見返りのない社会貢献になる。同じ一日が、立つ位置によって違うものに見える。
もうひとつ、表に出ない支えもある。ある人はこう言った。儲からない社会活動に打ち込めるのは、配偶者に収入があってゆとりがあるからではないか、と。その指摘が当たっているかどうかは別として、活動を可能にしている条件が、家計の内側にも隠れていることは確かだ。
ほとりは、もっと小さく回っている。子どもからも、誰からも、個人としてはお金を取らない。完全にゼロだ。かわりに寄付と、週に一回と月に一回開く喫茶の飲食代で、子どもの活動費と昼ご飯の材料費を賄う。喫茶が資金集めの装置になっていて、収支はマイナスになっていない。外から入るお金は、調理の活動に年十万円ほどの町の補助だけで、それも二年目になる。三年で切れる。
場所の借り方にも工夫がある。ほとりが使うのは学校の建物で、やっほーが社会福祉協議会から借りているところを使わせてもらう形だ。ただし使用料を払うと、やっほーが又貸ししていることになって社協としてはNG になる。そこで、使用料ではなく「寄付」という形にして、その寄付のかわりに週三回、月水金のこの時間を使わせてもらう、という建て付けにしている。制度に触れないように、名前のほうを変えている。
ホップを育てる柳沼さんも、期限つきのお金で動いている。新規就農者向けの助成金が三年間、年に百五十万円ほど。認定を受けるには、審査会で五年間の営農計画をプレゼンする必要があった。十人以上が並んでいたが、ホップをやる人が周りにいないので、質問はほとんど出なかったという。いまホップの売上だけで生活できるほどではなく、貯金も切り崩している。就農して二年、農地もまだ買えず借りているだけだ。三年ほど続けて信用されるようになると、周りが売ってほしいと言ってくるらしい。
助成はあと一年半ほど残っている。その先は分からない。だからそれまでに、醸造所を作って計算を立てないといけない。もっとも、その計算は慎重に組まれている。仮にいま借りている醸造所が何の収益も出さず、ランニングコストだけがのしかかっても、事業全体としては赤字にならない規模にしてある。今のままホップ農家だけを続けるほうが、むしろリスクは低いのだという。委託で作ったノンアルは、最初の年に一本五百円だったものがいまは八百円で、それでも売上も本数も三倍になった。普通のスーパーでは売れないから、マルシェや道の駅、結婚式場や寝台車で売る。
外部資金は、活動を地域の外側から支える。それがなければ始められなかった活動も多い。ただしそれは永続する収入ではなく、自立するまでの時間を買うお金だ。助成が終わったあとも、パンを届ける関係は残る。柳沼さんの畑には、育ったホップと自作のトレリスが残る。問題は、残ったものを使いながら次の費用を自分たちで生み出せるかどうかで、その準備は助成の期間のなかに含まれている。
米が蒸し上がったら、餅つきが始まります。
十二月のある朝、大磯の丘を上がっていくと、畑のはずれに臼が出ていた。宮川さんは自分の畑で無農薬の餅米を育てている。毎年十二月になると蒸籠を出し、臼と杵を並べ、「みんなで持ちつけてくれ」と声をかける。参加費はない。何時から始めるという厳密な告知もない。米が蒸し上がったら始まる。集まってきた人が順番に杵を持つ。小さい子が振り回す杵を、後ろから大人が手を添えて支える。そのうちに誰かが「そろそろ交代」と言って、次の人に渡す。合いの手で水をつける人がいる。上がった餅をちぎって丸める人がいる。蒸籠の火の番をしている人がいる。それぞれの持ち場は決まっていない。来た人が、できそうなところに入る。
蒸籠から湯気が上がっている。十二月の空気は冷たい。吐く息が白い。湯気と息がまじって、畑の上で薄くなって消えていく。宮川さんは米を育てて蒸す。来た人がつく。つけた餅は二個ずつ持ち帰る。宮川さんは米を出しただけで、つくのは来た人たちだ。手伝ったのも、持ち帰るのも来た人たちだ。宮川さんが一人で全部やったわけではない。でも宮川さんが米を出さなければ、何も始まらなかった。翌年も同じことが起きる。宮川さんが米を育てる限り、毎年十二月にこれが始まる。
畑がある。人が来たがる。じゃあ使えばいい。
宮川さんの畑には、ワークショップで外から人が来ることもある。味噌を仕込んだり、野菜を収穫したりする。売上の一部が宮川さんに入る。でも宮川さんはそのために畑をやっているわけではない。畑があって、米がある。人が来たがるから使う。順序が逆なのだ。まず畑があり、そこに人が来たいと言う。じゃあ使えばいい。そういう話が繰り返されている。
手を動かした人が、少しずつその場所の一部になっていく。
古本屋の南十字は、三人で運営している。三人とも出版業界や書店で働いた経験はない。一人はウェブやデジタル周りのデザインの仕事をしながら店に立ち、一人は別の職場で働きつつラジオ番組のDJ をしていて、一人は「風景社」という個人出版社を一人でやっている。その風景社の本が、店の棚に何冊か並んでいる。三人はそれぞれが考えていることを小さな冊子にして、文学フリマに出した。店に置いてある分は、真鶴の道草書店へ納品するために作ったものだった。
その道草書店とは、同じ年に開業した「同期」にあたる。道草は六月、南十字は十月。独立系書店としては最も近く、イベントで一緒になり、休みの日には互いの店に行く。客の橋渡しもある。南十字から道草へ、道草から南十字へ。そこにお金は介在しない。
道草書店の店主は、店を構える前の一年半、軽トラの移動本屋で湯河原から二宮までを引き売りしていた。移動本屋そのものは経営として成り立たない。それでも、よそ者がいきなり店を開くよりも、一年半かけて各地を回ってつながりを作ったことが効いた。開業のときにクラウドファンディングに協力してくれる人がいて、店づくりを手伝ってくれる人がいて、そのまま常連になった。買う人と作る人が、途中で入れ替わっている。
東光院のコミュニティ食堂は、入口の鍵が開けっ放しになっている。監視カメラがあり、入口に募金箱が置いてある。買い物をしなくても入れるし、食べるかどうかも、お金を入れるかどうかも来た人に任されている。火木土の十七時から、住職が作ったものを地元の人が食べる。一人で食べることを防ぐための場所だ。
大磯の花屋「烏」は、花だけを置いていない。花屋だと客が最初からふるいにかけられてしまうから、レコードや本や花瓶を一緒に並べて、花目当てでない人が立ち寄れる店にしている。初心者のDJ 会をやるときは花をどけてターンテーブルを置く。並べる本やレコードは、貸し棚を公募するのではなく、自分がいいと思ったものに直接声をかけて借りてくる。建築系の本、真鶴出版の刊行物、南十字が選んだ本。ブックマルシェのときは南十字の本を全面に広げる。
終わったアパートを買ってDIY で直し、みんなで使い、毎月マルシェを開く。そういう「個人が作る最小文化施設」が、あちこちにできている。お金とサービスの交換だけで生活を覆い尽くさなくてもいい、という感覚の転換が、その背後にあるように見える。
ほとりが使う学校の建物には、公共施設としての制約がある。自由に改修することはできない。だから既存の間取りや窓や設備を変えるのではなく、その条件でできる活動のほうを考える。制度の外へ出るのではなく、決められた枠のなかで使える範囲を広げている。
こうした場所では、完成したサービスを利用者が受け取るだけではない。使う人が本や労働や知識やお金を持ち込んで、場所の一部を作っている。ただし、その関係が誰にとっても入りやすいとは限らない。烏の半田さんは、自分は物々交換に強くない、と言った。触れ合いや会話や手伝いといった非貨幣のやり取りがあることは認めながら、そこは得意ではないと。そして、小田原など外の街のマーケットに出店しても大磯の人はあまり来ない、大磯は内向きだと毎回感じる、とも言った。場を一緒につくることと、誰でも利用できることは同じではない。輪ができたとき、その輪に入りにくい人がいないか。回っているものだけでなく、途中で止まるものや、最初から輪に乗らない人まで含めて見ることで、その場所がどれくらい開かれているのかが見えてくる。