畑がある。人が来たがる。じゃあ使えばいい。 sec#92
宮川さんの畑には、ワークショップで外から人が来ることもある。味噌を仕込んだり、野菜を収穫したりする。売上の一部が宮川さんに入る。でも宮川さんはそのために畑をやっているわけではない。畑があって、米がある。人が来たがるから使う。順序が逆なのだ。まず畑があり、そこに人が来たいと言う。じゃあ使えばいい。そういう話が繰り返されている。
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版履歴
v1 · machine · 2026-07-20 06:48
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お寺のコミュニティ食堂は、鍵が開けっ放しになっている。入口には募金箱が置かれ、誰でも入れる。住職が食事を作り、地元の人が食べる一方、町のおばあちゃんたちも食堂として場所を使い、弁当を配る。食べに来る場所でありながら、別の人が作って届ける場所にもなっていた。金額を先に確かめる受付はなく、開いた入口と募金箱が並んでいた。[moment#3067]
⚠[要検証] 別の場所では、終わったアパートを買い、皆でDIY改修して使い、毎月マルシェを開いていた。僕はそれを個人が作る最小文化施設と呼んだ。「お金とサービスの交換だけで覆い尽くさなくてもいいんじゃないか」という言葉は、売買をやめる宣言ではなかった。物件を買う金は要る。改修する手も要る。マルシェでは品物も売る。その間に、手を動かす人と場所を使う人が重なる時間があった。[moment#1201]
南十字では、古本を買ったおじいさんが、次に来たときも本を買い、そのうえで前に買った本を「お返しします」と置いていった。返品でも返金でもなかった。買ったものが店へ戻り、また棚に並べられる本になる。その光景を受けて、店主は「お金とサービスや物の交換である現代の交換様式から贈与と返礼のような新しい社会を理想に」と話した。店ができるまでには、移動本屋で築いた関係があり、クラウドファンディングや店作りを手伝った人が、その後は常連として本を買いに来ていた。[trade#262] [moment#1077]