米が蒸し上がったら、餅つきが始まります。 sec#91
十二月のある朝、大磯の丘を上がっていくと、畑のはずれに臼が出ていた。宮川さんは自分の畑で無農薬の餅米を育てている。毎年十二月になると蒸籠を出し、臼と杵を並べ、「みんなで持ちつけてくれ」と声をかける。参加費はない。何時から始めるという厳密な告知もない。米が蒸し上がったら始まる。集まってきた人が順番に杵を持つ。小さい子が振り回す杵を、後ろから大人が手を添えて支える。そのうちに誰かが「そろそろ交代」と言って、次の人に渡す。合いの手で水をつける人がいる。上がった餅をちぎって丸める人がいる。蒸籠の火の番をしている人がいる。それぞれの持ち場は決まっていない。来た人が、できそうなところに入る。
蒸籠から湯気が上がっている。十二月の空気は冷たい。吐く息が白い。湯気と息がまじって、畑の上で薄くなって消えていく。宮川さんは米を育てて蒸す。来た人がつく。つけた餅は二個ずつ持ち帰る。宮川さんは米を出しただけで、つくのは来た人たちだ。手伝ったのも、持ち帰るのも来た人たちだ。宮川さんが一人で全部やったわけではない。でも宮川さんが米を出さなければ、何も始まらなかった。翌年も同じことが起きる。宮川さんが米を育てる限り、毎年十二月にこれが始まる。
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版履歴
v1 · machine · 2026-07-20 06:48
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やっほーへ行くと、金の来る方向が変わった。立ち上げ時にはLUSHの助成金が入り、運営費と人件費を支え、小上がりや秘密基地、二階のフローリングが整えられた。けれど、その助成はすでに終わっている。室内で使う器も助成金で揃えた一方、調理する食材については「地域の人が下さった野菜とか平塚のパン工場で売れないパンをもらってる」と聞いた。野菜とパンは近くから来て、場を整える現金だけが外から来ていた。[moment#2027] [moment#818] [moment#816]
同じ場所につながるほとりでは、借りている学校の使い方に別の工夫があった。使用料を払うと、社会福祉協議会から場所を借りているやっほーによる「また貸し」になる。そのため、ほとりからやっほーへの寄付という形にし、その代わりに決まった曜日の時間を使う。寄付分は町の補助金から出るが、補助は最大三年で終わる。場所は先にあり、制度に触れない使い方が後から組み立てられていた。期限の先をどうするかは、まだ決まっていない。[trade#287] [moment#3129]
⚠[要検証] 平塚のホップ畑でも、期限は作業の速度を変えていた。新規就農者向けの助成金は年百五十万円ほどで三年間。ホップの売上だけではまだ生活できず、貯金も切り崩している。残りの期間に見通しを立てる必要があり、「計算を立てないといけないから製造所を急いだ」と聞いた。畑で育つものの速度とは別に、助成金の残り時間が製造所を急がせていた。[moment#3082]
⚠[要検証] 外のお金で始まったもの、期限までに次の形を作ろうとするもの、食材だけは地域から届くものが、同じ机の上に載っていた。「物々交換とかじゃないけど…人間の歴史って最初物々交換から始まって…その次ってまだないと思うんですけど」という言葉を、僕はそのままノートに残した。[search_chunk#516]