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#2625
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大磯への移住経緯。放浪後はずっと都内(品川駅近く)在住のシティボーイ。妻の父が大磯に住んでいて週末に通ううち大磯へ。現在は大磯にマンションを所有しつつ店の近くにアパートも借り、猫を大磯で飼っているため1年365日のうち約350日を大磯で過ごす(マンションには月1程度)。店の住所を住民票/会社の住所にしている。妻の実家(義父宅)はもう大磯にはない。
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#2624
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ラーメン修業の起点。27歳で渋谷・神泉の『麺の坊』系(一風堂の一番弟子の店)で約2年働く(当時一風堂は都内3〜4店、恵比寿だけでスープを炊いていた)。屋台をやめて店を出す知人から軽トラの屋台を譲り受けたが、そのタイミングで別のラーメン店にヘッドハントされ十数年在籍。その会社の会長に気に入られ『名前を使っていいから会社を作れ』と言われ独立、都内5店舗に至る。
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#2623
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来歴。小林は神奈川県出身(日大前の近く、慶応SFCができる少し前の世代)、就職氷河期(ロスジェネ)世代。7社受けて7社目のトイザラスに入社し、最初の配属で四国・愛媛県に飛ばされる。スノーボードがやりたく北(北海道)志望だったため耐えられず1年で退職。以後27歳まで放浪生活(冬はスノーボード、夏はリゾートバイト)。
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#2622
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小林は大磯に来る前、都内でラーメン店を最大5店舗(芝浦2・三田・浜松町ほか)経営していた。前職の会社(会長)から社名を使ってよいと言われ、その名で会社を作って多店舗展開。コロナ禍で他社と4社合併し側面(名目)役員になったが、のちに退任。コロナ禍に東京駅徒歩1〜2分の店も出したが家賃に耐えられず2年で撤退し、約3000万円を失ったと語る。
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#2621
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『海そば』は5年目、2021年1月オープン。2020年12月に開けるつもりだったがダクトの排気が効かず(茹で麺の湯気が雨水のように滴下)、直して1月開店=コロナ禍の最中。物件は元・魚系の居酒屋(ワタミ系ではなく個人店)がコロナで撤退した跡。小林は大磯で商売しようと約1年半物件を探し、この場所は道から見えない超辺鄙な立地で一度スルーしたが、1年半後もまだ空いていたので戻ってここに決めた。
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#2620
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取材冒頭、僕が自身の来歴と研究(慶応SFC建築+雑誌編集、西湘/大磯研究、交換様式A/B/Cの併用仮説、『大磯らしさ』の探索)を説明した後、双方が名乗る。取材対象は『小林豊文(こばやし とよふみ)』、店は大磯・下町のラーメン店『海そば』。僕は自分の姓が『志磨(=志を磨く)』で小林と同じ構図だと応じる。
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#2614
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取材の終盤、僕が自分の暮らしと改修活動を語る。今年7月まで大磯・下町の酒屋『足川酒店』の二階に、国府津のお寺の副住職・古井さんと同居していた。現在は国府(構図)に家を得て、まだ住める状態ではないがDIYで改修(トントンカン)中。これは杉山大輔とBlendで進める新しい宿づくりの一環。普段はSFCの研究室(たまり場)に泊まり込んでいる。
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#2613
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僕が美智子(みちこ)への取材を段取りしつつ、その人物像が語られる。美智子は夫がアメリカの弁護士で日米を往復し、グリーンカードを取得。米国で葡萄畑をやる予定で、大磯では里山整備や『宿(側)をきれいにする会』の活動に関わる。1月中旬に渡米予定のため近日中の取材を僕がみなこ経由で調整する。
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#2612
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僕がもう一つの活動を説明。シンフラックス(SynFlux)という会社でゴールドウィン等と協業し服を制作。ロール状の布から型を切り出す配置をテトリスのように最適化するシステム開発や、流体シミュレーション(人体に風を当てて解析)で服をコンピュテーショナルにデザインする仕事を紹介。修士研究では集めた情報をデータベース化し雑誌が自動生成されるシステムを作り実際に印刷したと語る。
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#2611
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国府(国府津/国府地区)の地域論。二宮駅と大磯駅の中間で不便とされるが、鉄道以前から国府があり小学校・中学校・支所が集約された旧市街=オールドシティの形が残る。神社の祭りは千五百年続き、旧東海道の路地には江戸期からの歩行者スケールの心地よさが散りばめられていると、移住者と僕が土地の歴史を語り合う。
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#2610
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パタゴニア/山と道系の移住者の一人が半生を語る。石川県出身で大学は土木・都市計画、博士課程まで進み地域デザイン/水辺からの都市再生を研究。歩いて木を植える英国人コールマンの植樹活動(日本・中国)に参加。大きな構造物を設計する責任への逆説から、現在はアウトドアブランド『山と道』でウルトラライト(持ち物を最小化して山に入る)思想のハイキングウェアづくりに携わる。
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#2609
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共同田んぼと米の話。餅の米はすべてこの場所で取れたもち米で、無農薬・無肥料。今年は田んぼの水が抜けてカラカラで不作(精米で前年の約1/10)。古代米のもち米も育てたが雑草に負けやすい。高齢化で耕作者が減り、空いた田んぼを借りて広げているという地域農の状況が語られる。
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#2608
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僕が自身の研究を説明。大磯に沿って『新しい社会のあり方』があるのではという仮説のもと、人・物・こと・情報の循環を追い、貨幣とサービスの交換とは別に募集制的な物々交換が並存してコミュニティや店が成り立っている点に大磯らしさを見ているとインタビュー対象に伝える。柄谷行人の交換様式論(A物々交換/B年貢/C貨幣とサービス/D=X)を下敷きにする。
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#2607
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参加者が互いの素性を紹介し合う。マットは東海大学の教員で外国人、妻のモユは同日、岡村朝子のアパートで洋服交換会を開いている。別の女性の夫はアメリカ人サラリーマンで大磯で合気道を教えており、みかん狩りで勧誘して人がつながっていったと語られ、移住者どうしのゆるい網の目が浮かぶ。
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#2606
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岩永あやか(彩子)が自己紹介。オーガニックのニッチな食の生産者を集めたECプラットフォーム『食べるとクラフト』(ラベルトクラフト)を全国向けに運営し、出品者は面接で選定、生産に対する思いや背景を精査していると語る。子どもが英語教室に通い、この場の畑仕事や地域活動も一緒にやるメンバー。
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#2605
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僕が『今日どういう人が集まっているのか』と尋ね、参加者が順に自己紹介する取材パートが始まる。みなこ(美奈子)が名乗り、地域の子どもの英語教室を主宰し、土日は子どもたちと畑や山で遊び、お花もやり、来週は岡村朝子らとホーチミンでお茶会(前年イタリアでのお茶会のオフ会)を開くと語る。
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#2604
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つきたての餅を皆で食べる。醤油・海苔・あんこ・バターに加え、ここの大豆で手作りした『みなこきなこ』と二年物の手作り味噌、宮川ハーブ(宮川ファーム)の醤油で作った豚汁を振る舞う。野菜も米も味噌もこの場所で自給されたものだと語られる。
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#2603
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蒸したもち米を臼と杵でつく協働作業。『愛の手』で水をつけながら大人と子どもが交代でつき、掛け声(よいしょ)を合わせる。外国人のマットも大人用の杵で参加。硬さ・蒸し時間・浸水を確かめ合いながら複数回つく。
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#2602
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僕が電動自転車で餅つきイベント会場に到着し、既に始まっている餅つきの二回目に合流。まず落ちている薪を拾い、火の番・準備を手伝いながら場に入っていく。
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#2385
oiso
q: 早い。あっけなかったんですね。 a: 解散して当時多摩センターの方に事務所を持ってたんですけど、僕はでもまだ始まったばっかりだったから、とりあえず最初通いで行くわっていうことでやってて。戻ってきて仕事ないと、やることないというのが1、2ヶ月続いて、どうしようかなってなってた時に、たまたまうちの奥さんが、「毎月大磯市っていうのがスタートしてるよ」って。
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#2384
oiso
q: 2人は雇っちゃったんですよね? a: その時に僕らも2人雇っちゃってて、それだと仕事なくなっちゃってるから無理だよねって言って、2週間で解散をします。
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#2383
oiso
q: 27歳以降、独立されたんですか? a: そうですね。まあそれやってて、その誘ってくれたやつが、平塚で一緒にその美大を目指す時に予備校みたいなのがあって、僕らの業界ではアトリエって呼ばれるんですよ。そこは。そのアトリエの同期のやつで、そいつと僕とで仕事が取れるから、じゃあ会社を起こそうっていう話になって、会社を起こすんですけど、それが2010年の時に、まあ某外資系の車メーカーのノベルティを全部一括でお願いしますっていう仕事があって。とりあえず1年間やりましょう。年間5000万ぐらいの規模でやりましょうみたいな話になって、そうすると2人だと回らないから、もう2人ぐらい雇おうって言って、2人知り合いを入れて技術を教え込んで、さてじゃあ会社立ち上げてやりましょうってなったのが、2011年の2月。3月1日に立ち上げて、2月登記して、3月1日に事務所立ち上げして。で、そのまま3.11で全部ぶっ飛んで。そうすると外資系とかも全て吹っ飛んで。
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#2382
oiso
q: 今おいくつですか? a: 僕47です。
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#2381
oiso
q: それがいつの話ですか? a: それが、ほんとに23-27歳ぐらいまでだったと思います。
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#2380
oiso
q: ハードに働いてたんですね。 a: 1日広告13個撮るとかね。そこで技術だったりとか、その操作系の技術だったり、スピード感だったりとかが、そこでだいぶ培われて、色々なワークフローの流れがだいぶ基礎になってて。いまだにデザインが早いねって言われるんですけど、頭の中で出来上がっちゃえば作るのは早いので。今は月10本ぐらいしか作ってない。80本から90本やってたのが。でも給料は上がってるからね。
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#2379
oiso
q: そのデザインの会社はどこですか? a: 厚木でした。デザインの仕事の制作室に来ないかっていう話で。その時はアミューズメント系ってパチンコとかホテルとかネットカフェとか温泉施設とか、そういうところのデザインをしている事務所があって。事務所じゃないな、そのグループ会社の中の制作室、インハウスですね。そこでアルバイトで「人足りないから入んない?」みたいな。基本そういうところ。そこは室長が社員でいて、あと全員アルバイトみたいな。7人ぐらいいたかな、当時。月80本ぐらいポスターを作るみたいな。大変ですね。最悪3日間缶詰で仕事するみたいな。若い頃はそういうのがあって、だいぶ。
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#2378
oiso
q: 就職するってことですか? a: アルバイトですね。基本はもうデザインで、どっちか2パターンあって、就職をしてインハウスで完全にガッツリやって移動して他の会社に移るかみたいな人と、僕なんかはフリーランスでずっと仕事を別でやっているので、時間も制限とれないようにフリーランスで仕事をしたいので、そういうところのデザイン基本はアルバイトが入ることが多くて。正社員になれって言われると断ってやめるみたいな。を繰り返すので。
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#2377
oiso
q: 何に移るんですか? a: デザインをやっている会社。
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#2376
oiso
q: 販売は何年くらいやったんですか? a: 3年くらいですね。Macを売りながらハードがわかれば技術者ではあるので、自分で何か壊れたり、これどうつなげればいいとかはある程度知っておいた方が今後の役にも立つし、デザインの仕事をできないんだったら極力近くにいようかなっていうのもあって、ヤマダ電機でパソコンを売ったりとか、デジカメを売ったり、インターネットを売ったりとか、ネットワーク系の販売もしたりとかもしていて。まあ3年ぐらい経って、たまたま知り合いが「打ち合わせあるよ」ってなってそっちに移るんですけど。
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#2375
oiso
q: それは何年の話ですか?2000年頃? a: 年数が24とか3とかそのくらいの歳なんで、もう23、24年前。2001年とかそれぐらいの年数ですね。当時、一家に1回線、インターネットを入れましょうみたいなのもやってた時期で、ヤマダ電機ってYahooが出資会社だったんですよ。だからワイモバイルのYですよね。ヤマダ電機でYahooを1軒入れると、その人に1万円入るみたいな。月30回線売ったら30万円入るみたいな、プラスでね。っていう時代だったので。
その時代にMacの実用性とかまだ全然なくて、iPodとかが出て、Appleが日本で実用化というか、見直される時になると思うんですけど、それまではiMacとかeMacとか、その前のキャンディーとかっていう色々古いものがいっぱいあって、Macはもうデザインの人しか使わないぐらいの感じのものだったんですよね。建築とか。そこからiPodの普及で相性がいいからっていって、Macがデザイン性がいいよねってなって色々が使えるようになる。Macも変わっていくみたいな話なんですけど。